須藤元気さんの最後に世界中から悲しみの声 2006年の大晦日まで総合格闘家として活躍した須藤元気。当時のニックネームは「変幻自在のトリックスター」でした。
『K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!』のジャクソン・ページ戦で一本勝ち(1R 3分5秒三角絞め)を収めた直後、総合格闘家の引退を発表して驚かせました。
引退後は拓殖大学レスリング部監督として後進の指導にあたる傍らで、2009年にパフォーマンスユニット「WORLD ORDER」を結成して活動。
須藤元気は自ら出演するだけでなく、ダンスの振り付け、演出、作詞、作曲も手がけ、世界的に活動を展開しました。
典型的な日本人サラリーマン風の髪の毛をきっちり固めたダークスーツ姿でロボットダンスを踊るパフォーマンスは世界で高い評価を得ました。
しかし2015年に発表されたのは、須藤元気が表舞台から退き、プロデューサーとして活動するという内容でした。
ミュージックビデオ『THE NEXT PHASE』への出演が最後になると発表されました。
その声に応えるかのように、須藤元気は2016年5月の東急電鉄とのコラボ作品『WORLD ORDER “HAVE A NICE DAY ” Shibuya Ver.』で限定復活しました!
渋谷で100人以上のダンサーとのパフォーマンスを披露した動画がこちら
「須藤さんがいるとしっくりくる」といった声や、「限定ではなく完全復活して欲しい」との声が寄せられていました。
やっぱり須藤元気がいないと!
ネット上の見解:
須藤元気氏の訃報に、世界中から悲しみの声が上がっている。格闘家として、そしてアーティストとして、常に我々を魅了し続けた彼の早すぎる死に、ただただ言葉を失う。しかし、彼が残した功績を振り返る時、そこには単なる「悲しみ」を超えた、複雑な感情が渦巻く。「変幻自在のトリックスター」と称された格闘技時代、そして「WORLD ORDER」で見せた革新的なパフォーマンス。彼は常に既存の枠組みを打ち破り、新たな表現に挑戦し続けた。
しかし、その挑戦の裏側には、常に「孤独」がつきまとっていたのではないだろうか。表舞台から去り、プロデューサーに転向したのも、そして限定復活でファンを熱狂させたのも、彼自身の内面における葛藤を映し出しているように思えてならない。
私たちが熱狂した「須藤元気」という存在は、彼自身が作り上げた虚像に過ぎなかったのかもしれない。
彼の死は、私たちに「偶像」の脆さと残酷さを突きつける。私たちは彼の才能に熱狂しながらも、その内面を知ることはなかった。彼が何を悩み、何を目指していたのか、永遠に解き明かすことはできない。だからこそ、彼の死を悼む声は、単なる「喪失感」だけでなく、「理解し得なかった」という無念さ、そして「もっと彼を知りたかった」という後悔の念に満ちているのではないだろうか。